ご訪問ありがとうございます。加藤マモルです。
オナ禁みたいな自己啓発って何だかカルトっぽくないか?、本当に効果あるのか?
いわゆる、オナ禁やってもモテないよ?、今すぐ辞めて、抜いた方がいいよ?、みたいな意見をちらほら見かけますし、またそういう疑念が生じたとしたら、その気持ちは理解できます。
新たなことに取り組むって、それまでの自分に無かった考えなり、行動パターンを取り入れることなわけですから、様々な内面の葛藤が生じたり、何なら正当化して、メリットが無い、という解釈に持っていくことも、起きてしまうわけですね。
僕なりの結論を申し上げますと、オナ禁は1週間ぐらいまでなら効果があると言えます。
あとは、集団でやらなくても、1人でもできるようになることだと思います。
もちろん、集団なら集団のメリットはあると思いますし、デメリットもあるはずです。
と控え目に書きましたが、僕は集団のメリットもデメリットも経験済で、己の価値観に照らし合わせて、僕の場合は、こういう自己啓発的なことは、基本的に、1人でやることに決めています。
あとは、オナ禁は1週間を超えたあたりから成果が頭打ちになってる感があり、生活との兼ね合いですが、僕みたいな日々黙々とした仕事の人としては、オナ禁で上がり過ぎたエネルギーというのは、逆に発散の場が少なくて、蓄積したエネルギーが暴発するリスクが目立ちます。
オナ禁が3日も続かないのはさすがにマズくて、デメリットが圧倒的に目立つと考えています。
このあたりが、「オナ禁やっても意味なくね?」に対する、僕の答えです。
そもそも、意味があるかどうかは、本人が決めることですので、まずは実際に取り入れてみて、効果が少ないと思ったら辞めればいいですし、効果があると思ったら、もう少し続けてみれば良いだけの話ですね。
新たなことを取り入れるときは、どんなときでも、最初少しずつ取り入れて、実験してみる、というのが、オススメの、基本的なアプローチになります。
そもそもこのような合理的、実験的進め方って、世に言う、カルトっぽい、宗教っぽい、といった他者からの評価から逃れやすいというのも、メリットとして大きいですね。
それまで普通だと思っていた人が、ある日突然、別人のように、自己啓発的なことにのめり込んでしまい、常識的には考えられないような言動を繰り返すようになってしまった…周りの大多数からそう思われるようになってしまうと、たとえその人が正しかったとしても、洗脳された、あっちの世界に行ってしまったなどと揶揄され、遠ざけられてしまうことが、ありがちなのではないでしょうか?
普段、それまでの仲間といるときは、実はオナ禁に取り組んでいるなんて、もちろん言わないに越したことは無いに決まっています。
社会人生活や学校生活の公のシーンで、そんな話題が展開されることは、まずありませんものね。
普通の人間関係のシーンに身を置いているときは、そりゃ、普通の自分でいる方が良いです。
何が常識なのか、どういうのが周りから見える本来の自分なのか、軸を見失わないことです。
ただそれが、集団で新たなことに取り組むとなると、途端に自分を客観的に観るのが難しくなっていき、気付けば周りから、それまでの仲間が少しずつ離れていってた…そんなことになりかねませんし、僕も一時期、常識とは少し違う環境に身を置いていた時期があり、そのとき噛み合わなかった知人とは、もう合わない仲になってしまった…今さらもう会えないだろうな…そんな風になってしまった仲はありますし、逆にそういう風になってしまって、戻ってこなくなった、当時仲の良かった友人もいたりしたものでした。
ただ実際に取り入れてみると分かるのですが、こうした非常識なテーマなり、技術には、普段の生活が何段階もレベルアップしてしまうような、【チート技術】な側面もあるんですよね。
オナ禁や筋トレはもとより、例えば外でのナンパや、ネットを駆使しての逆ナンから即ホテルアポ量産など、スキルが身に付けば普通に起きることなのですが、そういう話をするだけで、ちょっと理解できなくてドン引き…とか、オナ禁超サイヤ人効果で、久々に友人と会って、急にコミュ力が爆上がりしていたり、筋トレにしても、久々に会って急にガタイが良くなっていて、「お前どうした?」「何かやったか?」などとなり、まずはそこから理解してもらわないと、そこに漂う違和感…なんか気まずいぞ?、みたいな、そういう不整合も起きかねません。
といいますか、そういう不整合、普通に起きます。
どこまでが常識で、どこからを秘密にすべきか、そのあたりの感覚だけは、絶対に失わないようにしたい、となると、新たな技術を学ぶ上で、成果を加速させるのに、集団の環境を活用するのは確かに効果のあることかもしれませんが、どこかでふと、自分1人に立ち返り、今の自分は客観的に観て、どんな風になっているのか、自分を見つめ直す作業、こういうときはカフェにでも入って、ひたすらブレインダンプ(紙やスマホにひたすらメモしていく作業)がオススメですが、こうした軸の立て直し作業を通じて、集団でいるときだけではなく、自分1人でいるときも同様に、超サイヤ人状態を持続させるかのような、完全に自分の中に、新たなスキルを落とし込んだ上で、それまでの普通の自分として振る舞っている状態を保つ、そこが決定的に大事ですね。
このあたり、上手く整合を取れるのであれば、新たなスキル、非常識なテーマというものも、少しずつ取り入れていって、普通の生活ぐらいなら、ドンドン美味しい方向に持っていくことができるし、またその技なり良さを知人にも還元して、一緒に良くなっていこうよと、それまでの友人との新たな形のプラスの関係という方向に昇華させていくことも可能になってきます。
オナ禁を始めとした、本サイトで取り扱うような、各種良質習慣の数々には、あまり常識的ではないであろうことが多々含まれ、そうした一見カルト的?な営みでも、それらの良い部分だけを抽出して、常識的な生活の方に応用していけば、普段の生活が丸ごと底上げされることにもなってきます。
そうして底上げがある臨界点を超えた頃に、いったん人間関係なり、環境なりが整理され、次のステージへと移行していく、そんな瞬間が、人生において何度が訪れる、僕も経験してきましたし、あなたもオナ禁を始めとして様々なスキルを身に着けて、周りを遥かに凌駕するようになってきて、別の市場にご自身を露出させてみたときに、その市場の方々から求められるほどにまでなっていたのであれば、環境や人間関係が変わる、つまり、人生が変わる、という段階に入っていくことも、自然と起きてしまうといえます。
もちろん、オナ禁にこだわらずとも、何らかのスキルなり、自己成長を果たしていけば、どこかで環境が変わる瞬間は訪れる、という当たり前の話でもあります。
学生のときは受験がありますので、そこで否が応でも、別々の環境に振り分けられ、あたかも人生が変わったかのように錯覚しますが、それは単に振り分けられただけの話であって、本当に人生が変わったと言えるのは、元々エスカレーターがあるにもかかわらず、自分の意思でその環境を飛び出してしまって、別の環境に移動したり、転職や個人事業への移行などもそうですが、こういうことが起きると、生活から付き合う人々までガラリと変わり、人生変わった感が凄くなりますよね。
当の本人は大して変わってはいないのですが。
地道に、そのとき必要だと思ったスキルを、着々と身につけていってるだけなんですね。
それがある臨界点を超えたときに、環境から変わっていってしまう。
そうした瞬間が楽しいですし、次またそうなる瞬間への期待感もあるものです。
ということで、オナ禁を始めとした、傍から見て非常識な技術というものは、確かにカルト的に見える側面もありますので、基本的には1人でこっそりやるのがオススメです。
そういうことが話せる人とは、好きなだけ話せば良いと思います。
が、そういうことに抵抗があったり、全く知らない人が相手の場合、ドン引きされて関係にヒビが入る恐れもありますので、うっかり口から、そういうことは、出てこないよう、注意は払っておくに越したことは無いと思います。
場合によっては、うっかり漏らしてしまったのが、「実は俺もなんだよ…笑」なんてなることもたまにありますが、今目の前の相手でそうなれるかなんて分かりっこなく、それまで築き上げてきた関係において、そんなリスクを負うメリットはそんなに多くないと思います。
あくまで相手の認識を想定して、相手の認識の範囲内で振る舞うように心がける、そのスタンスをオススメいたします。
以上が、「オナ禁みたいな自己啓発って何だかカルトみたいじゃないか?」に対する、僕の答えになります。
カルトみたいに認識されないように、1人でひっそり楽しんで、相応のメリットはちゃんと享受して、あくまで周りに合わせて、出せるものだけ、出していく、そんなスタンスがオススメということになります。
そもそもオナ禁やるべき?
オナ禁ノウハウ、何だか怪しくない?
そうした疑念、最初の頃、生じるお気持ちは理解できますので、こうしたテーマについても、折に触れて、書いていこうと思います。
僕は普段の生活では本当にごく普通の業種の、ごく普通の企業に勤める、見た目も普通のサラリーマンをやってます。
たまに変人とも思われがちな、一応普通の人間が書いた、ちょっと非常識?とも思われるような話題を、引き続き楽しんでいただき、実際に実践してみて、そのメリットもまずは味わっていただければ、著者としては本望であります。
それでは今回はここまでになります。
最後までお読みいただきありがとうございます。